感覚の個人差は検証不能です
人によってココロとカラダのフォーマットが人によってかなり違うというのは私の仮説なんですが、全ての情報は脳で処理されているので、他者の脳がどのように情報を処理し、その人に感じさせているかは知りようがありません。
たとえば、赤という色が自分と同じように見えているのか。
この赤いバラが他の人にはどんな色に見えているのか?
普通に考えても、赤緑色盲のひとがどうみえているかなんて、私にはまったく想像がつかないわけです。
極端な話ではLSDが効くと音が見えるといいます。
私が死んで他者の体に乗り移ることができたらまずそれを検証したいとおもっています。
そのときは誰か体貸してね(^^♪
それほど極端ではなくても、ある単語がそのひとに及ぼす感情や身体的影響、音や色、匂いがその人の体に及ぼす影響、感情の発露というのがどうちがうのか。
私たちは自分の体しか経験できないのです。
だから、どうしても言葉のコミュニケーションでは分かり合えない部分がでてきます。
感情的、身体感覚的な意味では言葉の定義というのは人によってちがうから。
誰か感覚的ななにかを表明しているときに説得しようとするのは無駄。
そのひとの感覚ではそれが正解なんだから。
そのひとの感覚ではそれが正解なんだから。
分かり合えない前提で、それでも気の合う仲間達と寄り添えばいいんだと思います。
2017-07-25 22:30